ヒストリー・からだで語り合うワークショップ&コーチング


PETA


フィリピン教育演劇協会(PETA)は1967年に創立された。

作品の上演と並行して、農村や都市のスラムなどで農民や労働者、子どもたちなどを対象に、ワークショップを開催して、人々の表現の手段として演劇を活用してもらうための教育活動を精力的に展開している。

フィリピン国内の他のNGOなどにもその活動は大きな影響を与えている。

日本へもメンバーはたびたび来日し、ワークショップを行なっている。

※出版するとなると、ここはちゃんと調べておくべし。

→PETAツアー'97へ
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# by matchan1971 | 2004-12-04 00:57


97年2月のワークショップ 中身その2

そして、最終的にはこのワークショップでは、劇を創ったのだが、その手順はこんな感じだった。

まず、ゲームの1つで、人間彫刻というのを行う。これはPETA以外でも使われている手法なので、知っている人も多いかも。

人間の体を使って、彫刻を創るゲームだ。2人ペアになって、1本の「木」の形を創る、というあたりから始めていく。最初は「物」の形を創るのだが、だんだん人数も増えて複雑なものを創っていく。「動物」とか「乗り物」とかを設定しておいて、グループに分かれて創ったものを、他のグループが何か当てる、という形で進めることも多い。

「物」の形を創った後は、空間を創る。「学校」「公園」「海の中」・・・など、どんな空間でもいい。人間が登場するなら、その感情も表現できる。
「彫刻」だから静止しているんだけど、静止した場面は表現できるようになる。

この彫刻を活用して劇創りをしていく。

劇の題材になるのは、「人権」に関する問題が起こった実際の体験・・・というものだった。
生活上の実体験を劇の題材にする、というのがPETAの特徴の1つでもある。
僕が入ったグループでは、メンバーの1人が平和運動に関わっていたら、警察に不当な捜査を受けた・・・という体験を劇にした。

そして、グループに分かれて、まず、その問題が起こった場面を人間彫刻で創る。(「はじめ」の場面)
それができたら、問題が解決した場面を創る。(「終わり」)
そして、解決の途中にはこういう場面が必要だという場面を創る。(「真ん中」)

以上、「はじめ-真ん中-終わり」3つの彫刻を創って、その間を埋めれば、1本の劇ができる、というわけだ。

ここまで様々なゲームを通して培われてきた、創造性とチームワークをもってすれば、演劇経験などほとんどない素人の集まりでも、それなりに劇は形になってくるものだ。

グループに分かれて、それぞれの体験談を語り合ったり、問題の解決策を試行錯誤したりするのは、学習効果も高い。

これはすごい!と、僕は大いにハマってしまったのだった。

→PETAツアーの話、
→の前にPETAの説明
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# by matchan1971 | 2004-08-17 00:57


97年2月のワークショップ 中身その1

では、そのワークショップの中身はどうだったのか。

すべてを覚えてはいないのだが、断片的にはいくつも覚えている部分がある。もう7年半も経っているのに、これはものすごいことだと、あらためて思う。体感したことは、長く記憶に残るのだ。

最初は、自分の名前を言いながら、何かアクションをする、というところから始まった。シンプルなアクションでいいのだが、のっけからテンションを上げる感じで、ちょっと戸惑いはあった。けれども、デッサには、周りのテンションを自然に上げていくようなエネルギーがあった。

確か「ピカソ」というゲームもやったと思う。
紙とクレヨンを用意して、2人ペアになって、お互いの顔を見つめあい、紙を見ないで、顔を見たまま相手の顔を描くのだ。紙を見てないから、全体のバランスは崩れ、とんでもない配置の顔が出来上がる。誰もがピカソばりの不思議な顔を完成させて、あちこちで笑いが起こる。

そんな風に、からだを動かしたり、さまざまな形で自己表現したり、というゲームをいくつか積み重ねてしていくうちに、、からだがほぐれ、心も開放されて、徐々に参加者同士の交流が生まれてくる。

1泊2日のプログラムなら、食事や飲み会で交流が深まるのは当然だが、そのようなプログラムの合間ではなく、プログラム本体で、どんどん交流が深まっていく。

ついていけるか・・・なんて不安がっていたのがウソみたいに、僕もどんどんノリノリになってくる。

いくつかのグループに分かれて、ことばは使わないで、ことばじゃない声と、イスなどの小道具や人間の体を使って音だけでストーリーを表現する、というアクティビティ(活動)はよく覚えている。
他のグループの人たちは、眼を閉じて、音だけを聴いて、どんなストーリーか想像してみるのだ。僕は、アメリカ先住民のように雄叫びをあげながら、太鼓代わりにイスを叩いていたのを覚えている。弾けてたなぁ。

→まだ書くことあるので、その2に続く。
→OAOは夏のツアーで触れよう。
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# by matchan1971 | 2004-08-16 00:35


PETAツアー概要 その1

1997年8月。

1週間のフィリピンツアーに参加した。
日本から20人以上のツアーが組まれ、PETAが提供するワークショップを受ける。

この年のツアーはマニラ郊外の宿が会場となった。朝から晩までワークショップ漬けの日が多かった。

→PETAのワークショップのすすめ方の概要について触れてなかった。
2月のワークショップに即して、そこに戻る。
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# by matchan1971 | 2004-08-16 00:02


ファシリテーター

「ファシリテーター」とは、ワークショップを進行していく人のこと。
英語の「facilitate」は「簡単にする」とか「促進する」という意味がある。

講義をする講師のように、一方的に話をするのではなく、ワークショップの参加者が学びを深め、また持っている力を発揮できるように、全体の様子を見ながら、臨機応変に進めていく。

ファシリテーターについて必要な資質について書かれた文章の中で、「能動的な受動性」という表現があったのが、妙に印象に残っていた。
※藤見幸雄「ワークショップの概念とその可能性並びに課題点 -欧米における心理学ワークショップの体験を通して-」 = 「社会教育」1994年10月号所収

自分自身が「受け身な人間」だという認識が当時からあって、そのことはあまりいいことではないようにとらえていたのだが、その「受動性」を「能動的」に生かしてもいいのだ、というのは新鮮に響いた。
口下手な僕は、講師にはなれなくても、ファシリテーターにはなれるかも・・・という思いが漠然と湧いてきた。

けれども、この時点ではファシリテーターを目指そうという気持ちは、特にはなかった。

ただ、ここで出会った、今までで最高だと思えるワークショップを、もっと学んでみたいと思った。・・・この時点ではそれだけだった。

そして、その1泊2日のワークショップの最後に、夏休みにフィリピンを1週間訪れて、ワークショップを受けるツアーの話があった。

これは、なんとしても行きたい!・・・そう思った。

→PETAツアーの話へ
→ボアールはどこで触れよう?
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# by matchan1971 | 2004-08-15 23:14


楽しくて、かつ、深いワークショップ

さて、「みんなでレッツメークドラマ! 演劇を通して考える人権教育」のどこにどうハマってしまったのか。

楽しかった。そして同時に、とても深い学びがそこにはあった。その2つが、しっかりと両立していた。
楽しい雰囲気が、参加者同士の一体感を作る。そして、その一体感があったからこそ、上っ面ではない、深い所までたどり着けたのだと思う。

僕個人で言えば、今までふだん、表に出て来ていなかったような、表現力や遊び心が、その場ではごく自然に出てきた。
多分、ふだんは、照れがあったり、周りの反応が怖かったりで、ついつい抑えてしまうようなものが、ここでは出ていたのだと思う。そこでは、そういうものを出してもいいという安心感を感じることが出来たのだろう。とても自由な感じがする場だった。

「人権」という、ともすれば重苦しい雰囲気が漂いかねないテーマで、このような楽しさや自由な感覚を味わえるのは、意外な驚きだった。
今まだ受けたどんなワークショップよりも素晴らしいと思ったし、大きな可能性を感じた。

そして、このワークショップのファシリテーター(進行役)を務めていたのが、フィリピン教育演劇協会(PETA)のデッサ・ケサダさんだった。

→ファシリテーターについて
→デッサ・PETAの話へ
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# by matchan1971 | 2004-08-15 22:42


ワークショップ

そもそも「ワークショップ」って何だろう。

最近は徐々に耳にするようになってきたが、僕がこのことばを耳にしたのは、1995年、大阪市職員として働き始めた頃だった。

日本語に訳すと、「参加型学習」とか「参加体験型学習」など。直訳すると「作業場」とか「工房」らしい。

「社会教育主事(補)」という市民の学習を支援する専門職が、僕の仕事だった。その専門職仲間の勉強会で、「ワークショップ」が注目されつつあるというのを聞いた。

一方的に講師がしゃべる「講義」とは違い、ワークショップは学習する人同士が話し合ったり、個人作業や共同作業をすることを通して、学んでいく。

実際にワークショップを体験してみると、同じ作業をしても人それぞれ違う成果が出てきて、違うことを感じながら、違うことを学び取っていく。その違いが眼に見えることが面白いし、そのことからまた学びが深まっていく。

そういう講義にはありえない部分が、僕は気にいった。
また、講義ではほとんど起こらない、人と人の交流があるのもいいと思った。

その延長線上に、その「演劇のワークショップ」が表れたのだ。

→そして演劇ワークショップにはまった話へ。
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# by matchan1971 | 2004-08-15 22:09


運命を変えたワークショップ

あれは、1997年の2月。

「みんなでレッツメークドラマ! 演劇を通して考える人権教育」というチラシが眼にとまり、参加することにした。
1泊2日のワークショップ。主催はアムネスティ。演劇経験は小学校の学芸会以来ゼロ。

「ワークショップ」にはしばらく前から惹かれていた。
「人権教育」は仕事がら関わっていて、人権教育のワークショップには、結構面白いものがあるのは知っていた。

問題は演劇だ。音楽やダンスのワークショップの参加経験があったので、ひょっとすると演劇もその延長線上かも・・・という思いもあったが、やはり抵抗感は強かった。
ついていけないものだったら、どうしよう・・・そう思いながらの参加だった。

そんな思いとともに参加したワークショップ。
・・・それにハマってしまったのだ。

この後
→どこにどうはまってしまったのか
→ワークショップって何?
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# by matchan1971 | 2004-08-15 21:47


目標は、出版!

このブログでは、まつぞうが「からだで語り合うワークショップ&コーチング」で独立を果たすまでの道のりを記していこうと思います。

それを書くうちに、自分の今後の方向性も見えてくるのではないかな、と。

そして、まとめて、出版!
それさえ見れば、自己紹介にはもってこい!ということにしたい。
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# by matchan1971 | 2004-08-15 21:21

    

まつぞうのワークショップとコーチングの道のりを振り返る
by matchan1971
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